JBSQ&A

要するに、JBSの疑問などにできる限りお答えしていこうというコーナーです。

活躍期間が空いてる人が多いのはなぜ?
様々な要因があるけど、大半は受験。
ベストテン入りした後、全く載らないレースがあって再び活躍すると いう人はけっこう多い(尻の穴に図星氏など)。引退して復活するという例も多いが、空白期間が2、3レース ぐらいの場合は大半が受験によるもの。投稿者は中高生が多いので、受験休筆は多かった。
なんで「JBS]って呼ばれてたの?
JBSとは「Jump Broadcasting Station」の頭文字をとったものである。
確かに「ジャンプ放送局」を英語にしたらこう読むが、結局のところ TBSのパク…じゃなくてマネをしただけであり、それは局員も認めている。
ハガキを出すと、どのくらいで掲載されるの?
早くて3週間後。遅ければ3ヶ月後ぐらい。
ハガキを出しても、もちろんすぐに掲載されるわけではない。まず、マンガでもそうなのだが、作成してから本誌が 発売されるまで3週間ぐらいの期間が必要である。これはJBSも同じである。
しかも、JBSはいつも同じ番組をやってるわけではなく、奇特・路傍・NG → いちゃテレ・ホビー・応援団  といったローテーションが組まれており、半年のレースで2回ぐらいしか載らない番組もあるので、 遅ければ掲載までに3ヶ月ぐらいかかることもあった。
JBS新聞に載ってる人は新聞もらえたの?
本誌に掲載されてなければもらえません。
JBS新聞は、おおむね月イチぐらいで発行されていた。応援ハガキやほんのチョイ係のネタが掲載されていたわけだが、 あくまで該当期間(だいたい5週ぐらい)に掲載されなければ新聞をもらうことはできなかったので、 新聞に掲載されていながら新聞をもらっていないということはよくあった。かくいう私も、JBS新聞に掲載されていた 事実をJBS終了後に某投稿者の方に見せてもらって、初めて載っていたことを知ったこともある。
JBSのコミックスはどこに売ってますか?
すでに絶版なので、古本屋かオークションなどで中古を手に入れるしかない。
JBSのコミックスは全24巻が発売されたが、全巻がすでに絶版である。2008年12月に、コンビニ用傑作集が発売されたこと から考えると、愛蔵版とか文庫版とか出てもよさそうなものだが、売れないと思ってるのかそういうのが出る様子はない。

 なので、今からコミックスを集めようと思ったら、ブッ○○フなどの古本屋で探すか、ヤフ○クやメル○リなどで たま〜に出品しているのをゲットするかぐらいしか方法はない。しかも、VTR23とVTR24(最終巻)はあまり発行してない らしく、古本市場にもほとんど出回ることはない。もし見つけたら、即ゲットしたほうがいいかと。

本誌に載らなかったネタがコミックスに載ることもあったの?
あった。むしろ1/4ぐらいがコミックスのみ。
コミックスには、本誌に掲載されたネタの大半は載っていたが、それだけではスペースが埋まらないらしく、本誌に載って いないネタが載ることも多かった。これを「復活掲載」と呼んでおり、復活掲載はコミックス全体のおおよそ1/4ぐらいを 占めている。
ハガキの書き込みが細かいネタ(あるいはミスJBSみたいなイラスト)や本誌にはちょっと載せにくいきわどいネタが 載ることが多かった。
ペンネームの文字数制限ってなんで8文字なの?
元々ペンネームの字数制限はなかったが、JBS1初代で「ロケ(略)」という155文字というとんでもない長さの ペンネーム投稿者が掲載され、それ以降はペンネームの文字数を10文字に制限した。その後、JBS2の2代目において、 投稿者の年齢を表示することになったため、ペンネームの文字数制限が8文字になった。そのため、それまで9文字あるいは 10文字ペンネームだった投稿者は、ペンネーム変更を余儀なくされたのである。
例・「元祖現代的おじさん」→「元祖現代おじさん」 「こだわる人必殺手抜人」→「必殺手抜人」
なお、ペンネームには半角という概念はなく、英小文字でも1文字でカウントされている。
現在、あの膨大なハガキはどうなってるの?
全部裁断されてもうこの世にはないと思う。
表向きは「ハガキは全部とっています」とか言っていたような気がするが、現実的に考えて週4万枚、14年の連載期間で 届いたハガキの枚数が推定一千万枚ぐらいであるが、それを保管できる場所があるとはとても思えない。やはり実際には 裁断されていたと考えるのが自然である。ただしコミックス復活掲載の可能性があるので、裁断を遅らせたハガキも あるだろう。現在、この推定一千万枚のハガキは、おそらく全てこの世から消えているであろう。掲載・非掲載を問わず…。
投稿ハガキの表書きはどうしてたの?
宛先と住所氏名生年月日など書いてました。
表書きは、宛先(神田局私書箱〜)と番組名、そして自宅住所と氏名、生年月日、ペンネームを書くことになっていた (少なくともJBS3の頃は)。最初は年齢については書かなくてもよく、やがて年齢表記が始まるとハガキに年齢を書くように なったが、やがて生年月日に改められた。その後は、例えばジャンプの発売日が誕生日となった場合、自動的に年齢が増えて 掲載された。
優勝したらどうなるの?
レース途中に連絡があり、集英社に招待されたらしい(某優勝者談)。
優勝が決まるのは、本誌掲載からだいたい1ヶ月ほど前になるらしい。だから発売号では「あと4週!」とかやってる時に 電話がかかってきて、予定日を決めてその日に上京、集英社に招待される。そこで記念撮影をした後、局員とトークを 楽しんで、食事をして翌日に戻るという流れらしい。
新人賞の条件って?
JBS1、JBS2、JBS3それぞれで初めて掲載された人。
わかりづらいかもしれないが、JBS1、JBS2の10代目レースが終わると、新人賞条件はリセットされた。つまり、JBS2で 大活躍した人でも、JBS3の初代に載らなければ、2代目レースで新人賞候補となった。事実、JBS32代目の新人賞 アニスファーム命氏は、JBS2にて別PNの掲載経験がある。しかも、同レースの新人2位は錯乱坊主氏だった。さらに、 次の3代目新人は梶比樹出原氏。そんなこんなで、4代目以降は「過去にベスト20に入ったことある人は対象外」という 条件を付した。この条件がないままだったら、最終優勝の十月の隠者氏は新人賞も取れたはずなのだ。
そもそもJBS1とかJBS2とかって何?
各レースを10ごとに区切ったもの。
JBS1の10代目レースが終わった時に、心機一転を図るために「次は11代目レースじゃなくてJBS2初代レースとする」と 発表された。とはいえ、名称が変わることと前述の新人賞の条件がリセットされる以外は大して変わっていない。 この時に「ドラクエ2」が発売されており、おそらくはそれに影響を受けたんじゃないかと邪推する。 なお、JBS2も10代目で終わり、次はJBS3となっている。
曲の歌詞を書いてもよかったの?
別にOK。「日本音楽著作権〜」と表示された。
今でこそJASRACが歌詞表現に厳しいのは有名な話ではあるが、当時はハガキに歌詞が書いてあると、ちゃんと 日本音楽著作権協会(JASRAC)の許可を得て載せていた。
最初の頃のJBSってどんなんだったの?
月刊OUTから流れてきた投稿者が活躍していた。
月刊OUTとは、当時一世を風靡したアニメ雑誌のことである。日本最古のアニメ雑誌ともいわれる。 「パトレイバー」「じゃじゃ馬グルーミンUP!」のゆうきまさみ氏のデビュー雑誌。さくま氏はJBS開設前にここで 「私立さくま学園」という投稿コーナーをやっており、JBS初期の常連(冨田氏、麻草氏などなどなど)はOUTの 投稿者が多かったのである。なお余談だが、ドラクエの堀井雄二氏も同誌で投稿コーナーをやっていた。
番組によって点数が違ってたのはなぜ?
基本的に気まぐれだそう。
 とはいえ、載るのが難しい番組やハガキが少ない番組は総じて点数が高い傾向にあった気がする。あと、 イラストオンリーやほんのチョイなどの雑談系、写真系の番組は点数が高かった。路傍の立て札のように、 最初は一律2点だったのに、JBS36代目からイラスト5点、文字3点になったケースもある。
常連は番組の掲載順とか知ってたの?
知ってたわけではないが、推察はできた。
だいたい1つのレースを見ると、2P目(奇特、いちゃテレ、ホビーなど)と3、4P目見開き(路傍、ミスJBS、 だじゃれなど)と5P目(NG、いちゃテレ、応援団など)に載る順番とか推察できたのでそれに合わせて戦略を立てたり してはいた(たぶん)。
土居さんって本当に独身なの?
当時独身だったのは本当(今は不明)
当時から彼女はいたらしいが、JBSでのキャラ作りのために伏せていた。なお、土居さんを独身独身といじっていたが、 そもそもさくま氏も途中まで独身だった(隠してはいたが)。
エノさんって本当に貧乏なの?
んなこたーない! 経営は順調ですよ。
JBSではすっかり貧乏キャラとして定着した榎本氏であるが、実際にはVTR23にあるとおり立派なオフィスに多くの社員を 抱える、優良有限会社ですよ。まあ主にジャンプ関係の誌面レイアウトを手がけているので、安定した経営状況なわけだが。 なお、同社はマンガのタイトルロゴなども手掛けている(「鬼滅の刃」のロゴもそう)s、そもそも初代ドラクエの タイトルロゴを制作したことは超有名な話である。
ちなみに榎本氏は2022年に現役を退いた。お疲れさまでした。
本当に週4万枚もハガキが来てたの?
週3000枚の時もあったようです。
レース初期は週4万枚の時もあったそうだけど、終盤になると枚数は激減したらしい。それこそ週3000枚の時も あったらしい。だから新人は終盤の方が載りやすかった。
どのぐらいハガキを出せば常連になれたの?
人によってまちまちとしか言いようがないです。
イラストメインの人は枚数が少なくても掲載された。文字ネタ中心の人は枚数が多くても掲載されにくかった。
何枚出せば初掲載になったの?
これも人によってまちまち。
初めて出したハガキがいきなり掲載されることもあれば、500枚ぐらい出してやっと初掲載の人もいたらしい。 もっとも、500枚も出す前にあきらめたりしていないってのが素直にすごい。
常連が優先的に選ばれてたんじゃないの?
さくま氏は選考の時に、宛名は見ないそうです。
さくま氏は選考をフェアにするため、選考時には宛名側は見ないと公言していた。ただ、特徴的な文字やイラストは 宛名を見なくても誰が書いたかわかるとも言っていたので、私はそれを利用して独特な自画像を多用していた。
女性が有利とかはなかったの?
なかったとは思うが…。
もちろん一概には言えないが、女性の書いたハガキはイラストを多用することが多かったり、特徴的なハガキが多かった のではないかと推察する。ちなみに後に女性投稿者に話を聞いたら、総じて投稿枚数は少なかったようだ。
JBSのゲームを出すとか言ってなかった?
もちろん頓挫しました。
JBS3の5代目で、JBSのゲーム「Dr.えのッピ」というのを出すという話があった。そのキャラクターやコスチューム、 武器やアイテムなどを募集していたが、当時のゲーム制作会社がいろいろトラブったらしくて結局頓挫した。まあ仮に 出していたとしても、「怪物パラ☆○イス」なみの評価だったような気もするが…。
後にこの「怪物パ○☆ダイス」や「桃太郎電鉄」のアイデア募集に元常連のアイデアが起用されたりして、スタッフロールに 名前が載ったりした。
名葉会って何?
JBSで初めて掲載本数100本を突破した植田浩正氏に与えられたものです。
要するに野球の「名球会」のパロで、「名葉会」というのが作られた。JBS1終了時、その時点でただ一人掲載本数が 100本を突破していた植田浩正氏に「名葉会入り」と言って記念ジャケットが渡され、コミックスで特集された(VTR7参照)。 しかしその後に、9人の投稿者が100本突破したが、名葉会入りで表彰されることはなかった。
投稿してた人たちって、どうやって知り合ったの?
やはりインターネットが主流だけど、いろいろ。
私自身はひょんなことで夏草の線路氏と知り合い、VTR24に載っている合作ハガキを制作した。それ以外にも、当時の 常連さんによる桃太郎電鉄(スーファミの桃太郎電鉄HAPPY)のアイデアを出す集まりがあり、そこで多くの方と 知り合うことができ、後の投稿ネットワークの下地ができた。
その後、インターネットが流行りだしたことで多くの方と知り合うことに成功した。
 

 

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